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女神の乳房 第33話

2008/06/11 17:28 

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 貴彦の言葉が一発の弾丸となって裕美子の胸を貫いた。頭の中で何かが弾け、絶頂を迎えたときのように全身に稲妻が走った。
「あ、あなたが……」
 これ以上ないほど大きく開いた目で彼を見つめた。
 身も心も官能の波に浚われたあの時の情景が、裕美子の脳裏をビデオの早送りのように駆け巡る。膝が震えだし、全身が金縛りにあった。声を出そうとしても、砂漠のように渇ききった喉からは呼吸音しか出てこない。
 白い肌からは血の気が失せ、青ざめているようだ。それほどのショックだったのだ。狂ったように悶え、何度も喜悦の叫びを上げた自分の姿を知っているのが貴彦だったなんて……。あのめくるめく快楽の宴を共演したのが義理の息子だったとは……。
 混乱は頂点に達していた。半開きの口からは喘ぎのような呼吸音が糸を曳く。
「あんな手段にしか出られなかった自分が恥ずかしいけど……。どうしようもなかったんだ、だから変装までして……。だけど僕の想像どおり貴女は素晴らしかった。少年のころからの憧れの女神をこの手に抱いたときの悦び……。一度だけのつもりだったんだ、一度だけ夢を見ることができたらきっぱりと諦めるつもりだった。でも無理だった。裕美子さんという女神を心の中から消してしまうことはできなかった」
「じゃあ……、あの……、あの現場を……、見ていたのもあなたなのね……」
 驚きの表情のまま、とぎれとぎれの言葉が口をつく。
「あれは偶然だった。勉強の気分転換にジョギングをしてたんだ。そこで貴女の姿を目撃した。男が立ち去ったのもこの目でしっかりと見たよ……。言ったほうが良いのかずいぶん迷ったんだけどね、もし裕美子さんがあの事で悩んでいるのなら、あれが重荷になっているのならば、僕にでも少しは役に立てるかなって思ったから……」
 二十三歳のOLを密かに憧憬の眼差しで見つめていた詰襟姿の少年がいた。その少年が十年以上の時を経て青年の姿になり、人妻となった女の前に現れたのだ。
 夫にも見せたことのない痴態を見られた相手、未知の世界へ導いてくれた相手……、それが目の前の男なのだ……。雄の匂いを発散させ、裕美子を快楽の底なし沼に引きずり込んだ肉体……、それが義理の息子の貴彦なのだ……。

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 その事実は頭の中を何度も往復した。
「これで全部。僕が話したかった全部です……。今度は、今度は裕美子さん、貴女の気持ちを教えて欲しい」
 真っ直ぐに見つめる目からは、揺るぎない意志が感じられ、その気迫に裕美子はたじろぎそうだった。
「待って、ちょっと待って……」
 か細い声を絞り出すのが精一杯だ。
「あなたの……、あなたの気持ちは充分にわかったわ。でも、あんまり突然のことで、今は何も考えられないの……。独りで考えさせて……。だから、だから今日は帰ってくれない?」
 彼の顔を直視できず、テーブルに肘をついて裕美子は両の手のひらで顔を覆った。
「ごめん、突然すぎたみたいだね。悩ませたり困らせたりするつもりはなかったんだけど……。貴女の言うとおりだ、今日は帰ります」
 貴彦が立ち去った後も、裕美子はその座っていたあたりをぼんやりと眺め続けた。玄関ドアの閉まる音が遠くで聞こえたような気がする。
(まさか……、あの人が……)
 自分のことを「女神」だと称えてくれた貴彦。
 確かにあの時の肌の触れ方や慈しむような愛撫を思い出してみても、しっとりした愛情がこもっていたと思う。肉体的な欲望を満たすためだけでなく、裕美子をいたわり、そして悦びを与えようとしていた姿は、この身体がはっきりと覚えている。
 彼のことだ、自分の返事がどうであれ、決して感情だけの行動には出ないだろう、それは今までの態度からも充分に信頼がおける。本来なら考えるまでもなく、すぐにでも断るべきだろう。もちろん貴彦の心を傷つけないような配慮は必要だが。
 おそらく以前の彼女、身体を交える前の裕美子ならそうしただろうし、することもできた。だがあの悦楽を身体が覚えてしまった今、答えはそう簡単ではない。平凡な日常を粉々に破壊してしまうほどのときめき、それは色濃く全身が記憶している。目には見えない刻印が身体に押されているのだ。
 思い出すだけでも身体が熱くなる。三十四歳になって初めて女の悦びがわかったのだ。女としての自信を取り戻すきっかけとなった細い糸なのだ。そして自分の中に宿った新たなエネルギー。
 貴彦と別れてしまえば、このエネルギーを発散することができなくなる。もはや自分では抑制していく自信がない。もし違った方向に向けられたら、平穏な今の生活を壊してしまうことになりかねない。それだけはどうしても避けたいのだ。
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 密かに彼との関係を続けることができたなら、あの悦びを好きなだけ貪るれるし、今の生活を壊すことも決してないだろう。もちろんそれはそれで夫を裏切ることに変わりはないのだが。
 しかし貴彦と別れたとしても、これから貞淑な妻でいられる自信はない。夫は性的には不能なままだし、自分がどこかで道を踏み外してしまうかもしれない。そうなれば夫をも巻き込んでしまう恐れもある。それなら貴彦と密かな関係を続けるのが最良の方法なのではないか。自分勝手な都合の良い解釈だというのは承知の上だった。
 一人の男として見た場合でも、彼なら不満はない。年も近いし気心も知れている。何よりも自分に向けられる愛の量が一番嬉しい。年齢的なものもあるだろうが、あれほど熱烈で真摯な言葉は夫の口から出たことはない。渉と交際していたときも、婚約寸前までいくほどの仲だったのに、月並みな愛情表現しかなかった。肌から、手のひらから、全身から伝わってくる熱い思いが貴彦にはあるのだ。
 中堅だが優良企業の社長夫人の座を確保しつつ、若い愛人と睦み合う。しかもその愛人は義理の息子だ、たとえ同じ部屋に二人きりで何時間過ごそうと誰にも不審がられることのない関係なのだ。
 ただ、これは裕美子の理想であって、付き合っていくには彼の意見も聞かなくてはならないし、考えも尊重しなければならない。
(今夜にでも話してみよう……、早いほうがいい……)
 最近は特に忙しいようで、夫は今日も帰らないだろう。貴彦にここに来てもらってもいいのだが、やはり男と女の話をするのだから自分が彼のもとへ行くべきだろう、裕美子は思った。夫の匂いや影のある場所では、いくら何でもうしろめたい。落ち着いて話もできそうにない。
(夕方に一度電話を入れてみよう……)
 思い悩んだ末に自分なりの結論を出し、少しだけだが肩の荷がおりたような気がした。


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